私の中の織田信長は破天荒や勝気な性格などとにかく荒々しいイメージがあります。
そんな私が「現代語訳信長公記」を読んだ中で感じたことを紹介します。
■信長の青年時代
16歳から18歳頃までは遊ぶことなく馬術の稽古に励み、川で泳げる時期は水練をしていたそうです。
稽古とかまったくなくて、生まれ持っての才能で生きていたというイメージでしたが、実は真面目に稽古をして技術を磨いていたとはびっくりでした。
ただ町中での行動は当時の時代では変であり、「大馬鹿者」と言われていたそうです。
この辺りは私のイメージ通りです。武に関しては真摯に向き合っていたと感じました。
■父織田信秀の葬儀での行動
信長の父、織田信秀が病死しその葬儀での行動がヤバい。仏前に出て、抹香をつかんで仏前に投げかける。そして帰る。現代でもすごく問題になりそうなことをしてます。ちなみに信長の弟信行は礼にかなった作法であったそうです。
■平手政秀の自刃
政秀は信秀と信長2代に仕える武将でした。その政秀は自刃していますが、その理由が信長の実直でない様を悔やんだからだそうです。
当時は世の中の常識から外れることが問題視されていたのだと感じました。あと責任のとりかたが極端な気がします。死で片付けてしまう。難しいですね。
■信長は運が強い?
あまが池という大蛇がいると言い伝えられている池で、大蛇がいたと情報が入った。
信長は大蛇を探しに行ったが、結局大蛇は見つからなかった。見つからなかったから、
普通に帰っていったのです。だが、その裏ではある計画があったのです。ある武将が信長に逆心を抱いていると風説がありました。逆心の噂がある武将のいる城まではあまが池から行ける距離なので、信長は大蛇探しのついでに来て詰め腹を切らせるのではないかと考えていました。その武将の家臣が信長が城にきたら殺害の計画を立てていたのです。
ただ信長はどこにも寄らずに帰っていったので、この計画は実行されませんでした。
■信長のイメージはどうなった?
日常の行動は当時の人々が困惑する感じで、身近な人たちは大変だったのかなと思いますが、
逆にその常識にとらわれない価値観と行動力が信長のすごさではないかと思います。
新時代を作る上ではやっぱり必要な人物だったのでしょう。
武に関しても真面目で青年期には稽古にもとりくみ、ただの才能溢れる人ではなく努力できる人だと思います。
荒々しいイメージから周りに流されず自分の考えをしっかり持ち、行動していく荒々しい人になりました。